スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
.-- -- スポンサー広告 comment(-) trackback(-)

骨格調整09

ついに在籍期間が滿1年を迎えてしまいました。
最後にきて諸事情が重なったこともあり、
まぁ仕方ないでしょう。
競争ではないけど、適当な時間というか
潮時みたいなものはあるもんです。
前向きにサクサクっといきたいんだけど
何か足りない…気がしています。


じつは拳友でもあるPTさんが
骨格調整専科を経てきょうから本科に編入しました。
彼女は太極拳導引教室の練習仲間で
かれこれ7、8年くらいの付き合いになるのかしらん。
こうして、てあてスクールでも一緒に学ぶことになるとは
思ってもみなかったと言いたいところですが、
私自身が入学した当初から
何となくこうなるような予感はしてました。
この種の予感はかなりな確率で的中しているのですが、
クジ運やジャンケンにはめっぽう弱いわたしです。


さて、骨格調整はもう3回目。
先生の視線も“いい加減わかってるよね”と
言いたげな感じがします。

骨盤調整については
フレア調整がまだちょっと心許ないような気がします。
原理はわかっています。調整する側の特定や状態もわかります。
どのようにしたいのかはわかっているのですが
そのためにはどうすればいいのかという段階で
ちょっと戸惑うことがあるのです。
もうひと息っていう感じです。

手順を追いながら確認という段階というよりは
その意図を考えながら施術の方針の立て方を
確認しているような…とでもいえばよいのかしらん。
最終的にめざしている状態に到るルートは
ひとつとは限らない。
けれどまずは確実に到達できるルートを一本手に入れることが重要。
そのための練習だから。

その一本のルートをどれだけ使い込むかも大切。
いまはちょっとだけ余裕がでてきて
どうすればより負担をかけずに効果的に調整ができるかしらと
そのあたりを考えたりしています。

といっても、すごく高度なことを考えているのではなく
ちょっとしたくふうに近いことです。
たとえば、対抗してもらうときの力加減についても
その大きさや方向性は調節できます。
狙った筋肉に対する等尺性収縮やその後のストレッチを
いかに効率よく有効にできるか。
そうすると解剖学のテキストは必読となるし
実習と座学を並行させながらの試行錯誤です。

おそらく調整ベッド以外でも
たとえば床や畳の上でもそれなりに調整できるはずなんで。
条件を選ぶようでは使えるとはいえないだろうし
まだまだわかったとはいえないと思いますね。

だからやればやるだけ気づくことも増えてくるわけです。
先生に質問できる、確認したくなるようなことが
(自然に)出てくるようにならないとね。
んー、もうちょいかな?


スポンサーサイト
.05 2010 骨格調整 comment0 trackback0

骨格調整10

先週からスタートしたOMさんとTSさんに続いて
先週の説明会に参加されていたNMさんも
きょうから一緒に学び始めました。
ちなみにきょうは卒業生のMTさんの整体院のオープン日です。
初日はどんな気分なんだろうね~と
仲間達と話していました。

きょうも9名と満員御礼です。
他の曜日は出たことがないのでわからないですが
なぜか月曜日は参加者が多いみたい。
週末クラスよりも週明けクラスに
人が集まるというのはここ最近の傾向らしいです。
昨今の労働環境が変わってきているということなのでしょうか。
それとも単に学んでいる人達の業種に偏りがみられるのかしらん。
こういう動向もひとつの流れとみれば、興味深いものですね。



・先週分の骨盤の3方向からの調整法の復習
・梨状筋・腸腰筋・四頭筋の調整
・胸椎の調整


☆触診が基礎

調整のポイントは患者さんの状態を知ることからだと
つくづく思います。
触診や各種検査にしても、手順がだいたい頭に入ったら
目的意識をハッキリ意識していかないと。

実際に患者さんは何らかの不調を抱えているわけだから
触診は患者さんの体の状態を知るために行っていることを
意識すべきで。
ひとつひとつ触診しながら患者さんの状態を整理して行くと
どんなふうに見えてくるのかなぁ。

練習のための触診であっても、
全体にどんな感じ(印象、イメージ)なのか
つかめるようになりたいなと思い始めてきました。
何となくそう思うようになってきたわけで。
(ちょっと背伸びしすぎかなぁ…って気も?)
ま、できるかできないかはまた別問題ということで。


触診のたびに相手の状態が
少しずつ変わっていることには気づけてます。
その人のいつもの状態というのがわかってないので、
比べることはできませんが、
触診を通してその人の全体の姿をつかみたいと
思いながら触診に向かうようになってきたらしい。

でも、まだまだ手ができていません。
ひとりでも多く、一回でも多く触るしかないです。


☆「なぜ?どうして?」の視点

骨格調整の経験の浅い人と組むと
手順やその根拠(理由)を話すことが多くなります。
すると、どうも自分が躓いたところについての解説が
くどくなっているらしいことに気づきました。
(先生に説明しすぎると指摘されたのがきっかけですけど)

それもまぁ見かたしだいでは
それだけいろいろ考えくふうし研究してるからこそ
手をかえ品をかえ話せるともいえなくもないのですが
よかれと思ってしたことが
むしろ相手を迷走させることになることだってあるわけで。
バランスですよバランス。

なんでもそうなんですけどね。
骨格調整も、結局はそこにつきます。
何をどのくらい…のさじ加減。
やってることは一緒でも
相手によってその加減は異なるわけで。

そのためにも基準となるものを一つ、
確実にできるように。
だから練習しているんだけどなぁ。
何回やってもキリがないと思えてきた。
これは太極拳もまったく同じなんですけどもね。



【きょうの「!」&「?」】

MET調整するときに、こちらが狙っている筋肉を
相手に使ってもらえなかったとき

おそらく誘導の仕方がある。
口頭で指示、手で触れられる部位ならば
実際に手で触れて方向などを具体的に誘導するのが一般的。
深層筋などの場合はどうかな?

きょうは骨盤の回旋調整のときに
四頭筋を使ってしまう人がいて
仙腸関節の動きに働きかけることが難しそうだった。
たぶん膝関節の上下位置で抵抗をかけるときの
圧のかけ方というか力の方向で
誘導できるんじゃないかなと思うのだけれど。
それと膝関節の屈曲角を調整してみるとか。
膝を坐骨側に近づけるような角度にするとどうかな。
そんなことを試しつつちょっとやってみた。

少しずつ周りが見えてきたような気がする。
っていうか、余裕が少し出てきたということかな。
.12 2010 骨格調整 comment0 trackback(-)

骨格調整11

きょうの骨格調整はやはりつらかった。
左手の腱鞘炎は微妙な角度で激痛が走るので
調整箇所によっては
なかなかうまく身体を誘導できないことがあった。

とくに腰椎の調整は
ちょっと体格がよかったりすると
すべてに中途半端になってしまい散々なことになった。
いままでで最低の状態で
相手の態勢が中途半端にもかかわらず
強引にやろうとしてしまうその心持ちに自己嫌悪。
最低です。もってのほかです。
二度とこんなことはしない。


・腰椎(T7~L4くらい)の調整
・頸椎(C2~7)の調整
・頸椎(C1、2)の調整
・胸椎(T1~7くらい)の調整
・膝の調整
・手首の面圧



【触診と観察眼(目のつけ所)】

手首の自由がきかないと
触診にも影響がでる。
いつも触れている箇所で触れないだけで
なんとなく感覚がつかみにくくなる。
それはたぶん自信のなさ。
不安がそうさせているんだと思う。

検査をして確認している部位だけでなく
全体に目を行き届かせていないと
見落とすものがある。
現象だけにとらわれていると
その人固有のクセに気づかない。
身体の使い方には
その人の性格、考え方、感じ方が現れる。
現象をつくりだしているのは
その人の個性であり
現象は体全体の象である。

たとえば膝の痛みは膝の調整だけでは
根本解決にはならないと考える。
膝の動きを左右するのは股関節の状態だったりする。
足は基本的に地に着いて
固定されている場合がほとんどだからだ。
股関節周りを調整するということは
多かれ少なかれ骨盤や腰椎の状態も診ることになる。
首であれば肩の状態、背中上部、肩甲骨周辺だったり。
一足飛びにできることではないが
心がけるべきことかと。

それにしても故障は文字通り痛い。
疲労困憊がここにきて露呈してる感じ。
なんとかしないと

.19 2010 骨格調整 comment0 trackback(-)

骨格調整12

今月最後の骨格調整です。

きょうの相手は骨格調整をはじめて学んでいるTNさん。
これまで教わった調整法の復習が今回の内容です。
ひとつひとつ実習しながら
“これでいいのかな?”
“うーん、イマイチ(変化が)わからないなぁ”
不安な気持ちがTNさんをいちいち動揺させているんですね。
焦りで冷静になれないから
触診する指先の感覚も鈍くなってしまいがち。
そんな彼の状況、よくわかります。
かつての自分もまったく同じことをしてましたから。
じつは、そんな彼が
この後にガラリと変わることになるのです。


“きっかけ”は突然にやってきました。
腰椎の調整のときのことです。
ほんとにビックリするくらいにうまく動きが出て、
彼の指にその感触が伝わったらしく
「あっ、動きました!これかぁ、こういうことかぁ」と、
とってもうれしそうでした。
よかった。

気がついたらできるようになっていたというのも
しみじみとうれしいんですが、
“つかみ”の瞬間というのもまた
なかなかにうれしいもんです。
とくに出口の見えないトンネル内のような状況で
ちっちゃな光りが見えた時なんて…泣けてきますもん。


ちなみに彼の緊張を感じた私がまず試みたのは
自分が(現状以上に)緊張しないようにしたことです。
彼の緊張に対して私もまた緊張で返すのではなくて
自分のものとして受けいれようとした。
みかたを変えれば、彼の緊張のなかに自分を溶け込ませる、
同化しようとする感じ?
つまりは状況を共有しあうみたいなことなのかなぁ。

そうしたら彼の緊張ぐあいに変化がみえてきたんです。
まず私が意識を変えたら、その変化に彼が反応したのか
彼の中にも動き(変化)が出て、
あとはもう彼自身でどんどん変わって行った。
で、最終的には私まで変わってしまったということですよね。

これは2月に参加したブルース・ファートマンの
ワークショップ(AT)の中でやったワークと
たぶん同じ内容ですよね。
もしくは太極拳で得た感覚の応用ともいえそうな感じ。
どっちにしてもそれと気づかずに応用してました。
これはこれで、別のうれしさを感じますね。



☆きょうの課題☆

腰椎の調整を行うときの
患者さんの姿勢をととのえるのがイマイチ甘い。
小手先だけでやろうとしているのかな?
体全体を使って誘導してないかも。


☆きょうの!?☆

伝わることを怖れるのではなく
その内容、質をコントロールする必要はあるなぁ

気持ちはできるだけフラット、自然体をキープ
.26 2010 骨格調整 comment0 trackback(-)

アレクサンダーテクニーク・ワークショップ 03

今回の勉強会はアレクサンダーテクニーク(AT)。
講師は前回に引き続きYさん(先生と呼ばないでと言われているので)

前回のテーマは「つながり」でした。
そして今回は「関係」。

ゲームワークでは参加者でペアをつくって
リーダー役・フォロアー役を交互に体験してみたり、
自分の“あたま”と“からだ”の関係がどんな感じなのかを
各自で観察してみたり。
日常的な動作を取り上げたアクティビティワークもやりました。



☆リーダーとフォロアー

2人で組んだゲームワークでは
フォロアーは目を閉じて導かれながら歩く役回りですが
リーダーの方はフォロアーに対して2通りの接し方をします。
 ひとつは相手のことなどお構いなしに自分本位に歩き回る
 もうひとつは自分のことよりもまず相手、相手のことしか考えないで歩き回る
 

それだけの違いなのですが、リーダー・フォロアーともに
ずいぶん大きな違いがあることを感じました。

フォロアーのときは受け身ですから
一方的に引きずり回される状況では手をつないでいるにもかかわらず
不安感ばかりが大きく、相手との距離を遠く感じました。

次に相手が自分の存在を気遣って歩き回るときは
つないだ手を通して相手の好意を感じました。
相手に対する信頼感が芽生え、相手との距離も縮まったように感じました。

リーダーのときは、自分本位で歩き回ることは難しかったです。
難しかったというより無理があるなと感じました。
たぶん手をつないでいたからだと思います。
手から伝わってくる相手の存在感をどうしても無視できませんでした。
無理やり強引にやることになり疲れました。

それだけに、相手主体で歩くシーンに変わったときにはホッとしました。
ただ、自分を忘れてしまうくらい相手に意識を集中していたはずなのに
リードしているのは相変わらず自分であることに気づいたら、
どんなに相手本位とはいっても自分が消えてしまうわけではなく
主体も依然として自分にあるようにも思えてきて。
なんというか…相手を自分の一部として取り込んだ(包み込んだ)ような感じに
思えてきました。
でもそれは自分が相手を支配してるわけではなくて
融合とでもいうような感じなのかなぁ。



☆自分の頭と自分の体との関係

初っ端に指名されてしまい
あまりまとめたり振り返る時間もなく、いま現在の状況だけを話しました。
具体的には、腱鞘炎とか寝不足とか父の介護のことなど
自分にとって不安なことや好くないことに囲まれているために
疲れて休みたがっている体に向かって
頭の方ががなんとかなだめすかしつつ
しのいでいるような感じであることを話しました。

前のワークにたとえれば、
無意識のうちにリーダーは頭、フォロアーは体みたいに考えていたのかなぁ。
で、頭のリードの仕方なんですが、
一応は体の言い分を聞く耳は持ってるんだけど
受けいれることはしてないみたいな状況かと。
でも、話をしていたときの自分は
どちらかといえばリーダー格の頭に対して批判的なというか、
体側に立って話していたようにも思えたり。
やはり頭も体も、どっちも自分ですからね…。
できるだけ公平な立場、つまり、客観的に話そうとしてたのですが
聞いている側にはどのようにみえたのでしょうかねぇ。


また、関係ということでいえば
対象に向き合う自分の考え方や感じ方、
ものごとへのアプローチの仕方しだいで
その関係性はどのようにでも変わるってことは、
すでに情報としては持っていたはずのものなんだけれど、
自分としては、現実の前ではなかなか活かしきれていないと
感じていたりします。

たとえば、ラクになったと感じるのは
その直前まではラクじゃなかったからだし
ラクじゃないと感じるのは
それまでがラクだったということです。
だからラクな感じもラクじゃない感じも
それを感じるためには
どちらの存在も欠かせないものなわけですよね。
なのにどうして苦しんだり悩んだりするんだろうって…


☆ちっちゃな気づき

アクティビティワークで
Yさんが受け手の人に話しかけながら
働きかけているのを傍でみていると、
受け手が変化すると
Yさんにも変化が現れていたみたいでした。
それぞれがいまの状況を受けいれ合ってるからだと思います。
つまりそこには互いを了解しあうというか
共有している何かがあるわけでしょ?
そしてそれをみてて、
すごいな~と思っている(受けいれてる)自分がいるわけです。
もしかするとわたしにも変化が起きていたのかも。
二重三重に共有空間が重なってるというか
入れ子みたいになってるというのか…
だんだんわからなくなってきたので
これでオシマイ。


今回は個人ワークを受けることはなかったのですが
なかなかにおもしろかったです。


.27 2010 セミナー・勉強会 comment0 trackback(-)
 HOME 

プロフィール

ゆぇふぁ(月華)

Author:ゆぇふぁ(月華)
10代で過呼吸症候群を発症、自分の体や心と向き合う「からだまなび こころまなび」が始まりました。
当初は病を克服することが治癒だと信じてました。しかし思いのほか病との付き合いが長引くこととなり、しだいに克服への気力も萎えて心身ともに諦め始めた自分に絶望。引きこもり状態を経て再び光りを見出したときには発作は起こさなくなっていました。

長い時間をかけてようやく覚りました。病は健康の一つの姿(状態)にすぎないのではないかと。病が問題なのではなく、病になる自分を認めたがらない気持ちがよけいな苦悩を招くのではないか。そんな気持ちを捨てられたなら、ありのままの自分を受けいれられたなら、もう少し自由になれるのではないかと。その思いはその後、太極拳導引と師に出会ったことで確信へと変わりました。
太極拳導引からは、これまでの学びを日常生活に活かし実践するための「具体的な方法と考え方(養生)」を学んでいます。

養生で求める状態は中和です。和みはさまざまなバランスがととのっている状態(調和)です。自分自身のバランスだけでなく、自分と自分を取り巻く環境(他者)とのバランスも意識して自らをコントロールすることを、少しずつ身につけていくことかと思います。
これまでは自分をととのえることばかりに目を向けていましたが、もう少し視野を広げながら養生と取り組んでみたいと思うようになり、それなら身近で興味もあった整体を学んでみようかと。
そして縁あって『てあて整体スクール』にお世話になることに…

カレンダー

03 | 2010/04 | 05
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

最新コメント

検索フォーム

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。